未来から考える Ⅰ 移動の課題

 地方では車が無くてはならない移動手段です。高齢者でもそれは同じで、地方ではかなり高齢の男性や女性も運転しています。通勤、買い物、子供の送り迎え、農作業や通院など、車なしでは生活が成り立ちません。

 20年以上以前からですが、私の住む町では、フラフラ走る車や一時不停止の車、逆走車などに遭遇して肝を冷やすことが度々ありました。青信号で発進したのに傍から車が突っ込んでくる、一時停止しないで脇道から車が出て来るなどです。特に突然気温が上がった初夏の午後など、体が夏の暑さに慣れていない時期に出くわすことが多く、一旦停止の標識が左右にあると、通過する時は慎重に確認してから通過しています。

 高齢者の方の関係する車の事故が増えています。既に多くの報道や数字に表れているので詳細は控えますが、交通事故全体は減少しているにも関わらず、高齢ドライバーが関与する事故が相対的に増えています。特に死亡事故に占める割合が拡大しており、交通事故の死者数に占める65歳以上の割合は54.7%と過半数を超えています(損保会社のデータより)。

 また10年前と比較して、全事故に占める高齢ドライバーの割合は16.3%から24.4%に上昇しており、実に4分の1を占めています(警察庁統計より)。

 新潟はどうかと言うと、高齢者が関与する事故の割合は2020年の42.7%から2024年は38%と若干低下しましたが、総じてほぼ横ばいの状態です。一方死亡事故に占める高齢者の割合は高くなっており、2024年の交通死亡事故に占める65歳以上の高齢者が占める割合は70.9%でした。特に75歳以上の高齢者の死亡が多く、全高齢者の76.9%を占めていました。

 ここから読み取れるのは、高齢ドライバーの起こす交通事故はかなり高い状態で推移し中々下がらない。また事故を起こすと死者が出る可能性が高い、ということでしょう。

 新潟と都市部では道路状況が違います。新潟は冬季間の除雪に備えるため道幅が広く、除雪した雪を一定程度溜めておくための「遊び」が広いのです。これは運転者に余裕を与えます。また複雑な交差点などがそれほど多くないので、判断に迷うことは少なく、そのような道や交差点を迂回する道路も沢山あります。総じて高齢者も運転しやすいのではないでしょうか。

 一方都会には「遊び」がほとんどないように感じられます。車の流れが速く、瞬時の判断を迫られるので、判断能力の低下は命取りになる場合もあります。道路標識は工夫され、カーナビも進化してはいますが、高齢者の場合、情報を受け、理解し、適切に自分の置かれている状況と進路を考慮した上で判断し、望ましい方向へ進む、と言う一連の動作や判断がスムーズに行われなくなるのです。その結果は推して知るべし、です。 

 そもそも論で考えると、戦後の復興期、道路や高速道路をしゃにむに作っていた頃、設計者も施工者も、誰もこんな未来が来るなんて考えてもいなかったでしょう。未来はもっと速く、もっとスムーズに、もっと大量に車が流れているはずだったのではないでしょうか?車のビルダーも、運転者は運転に習熟し、流れるように車を走らせ、人々はハイパフォーマンスの車をスマートに乗りこなす、と思っていたのではないでしょうか?

 実際はどうでしょう?田舎では高齢者が軽トラックに乗り、スーパーへ買い物に行きます。スピードは出せないので(あるいは出しているつもりになっている?)、40km以下で走る方もおられます。後続車両を多数引き連れて、悠々と咥えたばこで走ります。危険ですしスピード違反になる可能性があるので、追い越してはいけません。何もないところでブレーキを踏まれることもあるので気を抜けません。後続車両には忍耐力が求められます。約束の時間に遅れるからと言って、イライラしてはいけません。どうしようもないのです。これが地方におけるモータリゼーションの現在地です。

 果たして大都市圏はどうなるでしょう?現在既に多くの高齢者が引き起こす交通事故が連日テレビで放送されていますが、まだまだ序の口ではないかと考えます。

 2019年の痛ましい池袋暴走事故以降、高齢者の免許返納が増えました。車メーカーも安全を中心に考えた車作りをしています。道路の構造も安全や分かり易さを中心に様々な工夫が凝らされています。それらは一定の効果を挙げていると肌感覚では思います。しかしまだ十分ではないようです。再度そもそも論を言って恐縮ですが、車が出来た当初、あるいは道路を作った当初、判断能力の衰えた方が運転する事態というのは想定外だったのではないかと思います。

 その設計思想と現在の利用状況、あるいは使用者が変化したためミスマッチが起こっています。

 例えば車のインパネ。最新の車は液晶パネルに沢山の絵文字やアイコンが並び華やかです。見るものを魅了する作りで、購入者の自尊心をくすぐるものでしょう。しかしそれらを理解出来ない者からすると、ただの光の点の羅列で、どれを押せばどうなるのか分からず途方にくれます。タッチする感覚も分からないので、強く押し続けたりします。並列的な光の羅列では、どれが大切でどれが省いていいものなのか、分からないのです。むしろ大昔のマニュアル操作の車の方が分かりやすいし安全と言えます。インパネはポイントが絞られて少ないので見やすく、クラッチなど操作できなければ、車は動かないからです。

 現在ほとんどのメーカーがI TやA I技術で安全を追求しています。もちろんそれらは素晴らしく、安全に大きく寄与していると思います。一方M C I(軽度認知症)気味の方々や昔ながらの車に慣れている方々にはそれらが理解出来ません。操作方法というよりも、それ以前の「仕組み」が理解出来ないのです。ふわふわした感覚で運転しているのではないかと思います。問題なければ良いのですが、現実は違います。1トン程度の重量の物体が40km以上のスピードで動くわけですから、人間にぶつかればひとたまりもありません。

 つまり技術発展の方向性が違うのです。

 運転しなければいいじゃないか、という話もありますが、運転できなければ生活が成り立ちません。自動運転はまだ先の話のようですし、タクシーは高い。ウーバーのようなサービスは日本では各種規制があり中々進みません。

 いずれにせよ車を使わない訳には行かないので、車を利用せざるを得ないが、安全で、高齢者でも使え、高価すぎないこと、などが条件となってくるでしょう。理想を言うと、自動運転で、小回りが効き、万一暴走しても被害が最小限になる小型のもの、という感じになるのでしょうか。また当然ですがスピードは法定速度内に納めて、それ以上は出せないようにする。 

 思っていた未来と少し違う未来になりそうですが、高齢化した都市ではゆっくりと移動し、多少のトラブルは寛容に受け入れ、慌てない、と言う心構えで過ごすことが肝要になりそうです。それはつまり、自制的にあれ!と言うことでしょうか。

 他にも鉄道の課題、歩行の課題など沢山論点はありますが、とりあえず今回はここで終わらせていただきます。

 これからどの方向に向かっていくかで未来が決まります。そのためには都市と人との移動についての関係性を多面的、包括的に捉える必要があるでしょう。


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